Okinawan Rockと基地の街

60年代~70年代、沖縄がアメリカの統治下だった頃
ベトナム戦争真っ盛り、基地のある町は無法地帯だった
白人の通る道と黒人の通る道があって
出会い頭すぐに喧嘩が始まった

コザの街も軒並ジュークボックスからアメリカの音楽が流れ
そこで育った沖縄の青年達は見よう見まねでバンドを始めた
客はアメリカ人
『紫』の客は将校などのインテリが多く品も良かったが
『Condition Green』の客はほとんどが海兵隊(マリン兵)だった

将校連中はマリン兵をアニマルと言う
最前線で戦う彼らに脳みそはいらない
兵隊たちのほとんどは若く20才前後
ベトナム戦争でマリン兵の死亡率は40%を超え
戦地に赴く恐怖を酒、女、麻薬で紛らわせていた
そんな彼らを相手に下手な演奏をしたらビールが飛んでくる
店では兵隊同士で毎晩のようにケンカが起きる
そんな時はママがカウンターから散弾銃を出して
天井に向けてバーンと打つ
兵隊は銃の音に敏感だから頭を伏せてしゃがみこむ
そんなふうに静まらせた

『Condition Green』のかっちゃんはステージで
ヘビの頭を食いちぎって生き血を飲み
ひよこを踏み潰しながら歌った
明日お前らは人間を殺しに行くんだろうと
パフォーマンスは兵隊たちにバカ受けした

明日をもしれない兵隊たちは湯水のごとく金を使う 
勘定する暇はないから、カウンターに置かれた
100ドル札を足でドラム缶に押し込んだ
2ヶ月で家が1軒買えた

時代が彼らを生み、彼らが時代を作った
さまざまな人の感情をステージで笑顔の熱気にかえた
沖縄のロックはステージの上にある
時代は変わったが、あの頃兵隊だった人の息子が
今では、その孫がと3代で訪ねてくる
2021年77才現役ロッカー、かっちゃんに
ロックってなに?と聞いた
それはね、何にも負けないってことさ
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